開業初日の利用者は10万人にのぼり、現在とほぼ同じ3分間隔で運行されていました。しかも、10銭硬貨を投入すると通過できる自動改札機や、不燃性の鋼鉄製車両、赤信号を見落とした列車を自動的に止めるATS(自動列車停止装置)などのシステムが当初から導入されていたのですから、日本初の地下鉄はかなり先進的だったといえます。
浅草~上野の開業は成功を収めましたが、その後の延伸工事には難題が待ち受けていました。地下鉄工事は地上を走る鉄道より建設費用がかさむため、資金調達の問題が浮上したからです。
当時は世界恐慌に見舞われた時期でもあり、社会情勢的にも向かい風。そのような状況下、手を差し伸べたのが、沿線の百貨店でした。まずは、地下鉄の集客効果に期待した三越が、駅の建設費用を全額負担する代わりに、本店と直結した駅の建設を提案。これが現在の「三越前」駅です。
上野の松坂屋、日本橋の髙島屋、銀座松屋、銀座三越などからも資金提供があったおかけで、日本橋、銀座へと路線を延伸し、昭和9(1934)年に浅草~新橋が開通しました。
日本初の地下鉄の正式名称が銀座線に決定
その一方、昭和14(1939)年に渋谷~新橋までの地下鉄を開通させたのは東京高速鉄道株式会社で、当時は銀座線の区間は、2社がそれぞれ新橋を境に折り返し運転を実施する状況だったのです。昭和16(1941)年に両社は新しい法律によって統合され、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)として地下鉄の運営を開始しました。
太平洋戦争をはさんで、昭和28(1953)年、それまで「地下鉄線」などと呼ばれていた地下鉄路線に「銀座線」という正式名称が誕生。昭和29(1954)年には、東京では銀座線に次いで丸ノ内線が開業し、戦後復興の象徴となりました。
営団地下鉄は2004年民営化に
1960年代、高度経済成長期に入ると、地下鉄の建設が進んで新線の開業が相次ぎました。その後も、東京の地下鉄は着実に路線を増やし、区間は延伸されていきました。そして、2004年に営団地下鉄は民営化され、東京地下鉄(東京メトロ)となり、現在に至っています。
日本初の地下鉄なのに銀座線が「3号線」と呼ばれるのはなぜ?
ちなみに、東京を走る地下鉄路線には、「都市計画高速鉄道第○号線」という通し番号が付けられており、銀座線が「3号線」と呼ばれるのを聞いたことがあるかもしれませんが、最初に開業したのに3番であるのには理由があります。
昭和21(1946)年の戦後復興のための高速鉄道網計画では、すでに開業していた銀座線を含めて5路線の計画がありました。南から山手線と交差する順で時計回りに番号が割り振られたため、開業順とは異なる路線番号が付いてしまったのです。銀座線以外は、都営浅草線が1号線、日比谷線が2号線、丸ノ内線が4号線、東西線が5号線となっています。