【富山県】黒部峡谷鉄道の歴史は命の保証はしないという条件で運行されたトロッコ電車
今年も4月20日から運行が開始された黒部峡谷鉄道。
今では黒部峡谷の観光名物となっているトロッコ電車は、電源開発工事の一環で敷設された歴史があります。秘境ゆえの絶景とスリルは、今も昔も多くの人を惹きつけているようです。
黒部峡谷鉄道とは
黒部峡谷のV字谷は、日本でも有数の深さ。山の隆起と黒部川の浸食によって形成された険しい谷が約70㎞続き、最深部は約3000mもある。カエデ、ブナ、ナラなどの原生林が多く、その緑の中を黒部峡谷鉄道のトロッコ電車が走っています。
黒部峡谷鉄道の歴史①:黒部専用鉄道時代
このトロッコ電車は、当初は観光列車などではなく、電源開発に伴うダムの建設資材や作業員を運ぶための鉄道として誕生したもので、当時は「黒部専用鉄道」と呼ばれていました。鉄道の敷設工事は、大正12(1923)年、黒部峡谷初の発電所となる「柳河(やながわら)原発電所」建設に先駆けて始まります。同発電所の取水ダム建設地である猫又までは約12㎞。平野がない峡谷では普通の線路よりもレール幅を狭めなければならず、電車も最小の車両が導入されるなど、かなり制限された条件下で敷設がおこなわれました。
黒部専用鉄道はダム建設用資材を送るために使われていた
ダム建設用資材は、黒部専用鉄道で宇奈月から各工事現場へと送られていました。宇奈月までの運搬をおこなっていたのは、黒部鉄道。かつての三日市駅(現在のあいの風とやま鉄道黒部駅)と黒部峡谷方面を結んでいた路線です。よって、資材はまず三日市駅で集積されるというのが決まりでした。このため、現在でもあいの風とやま鉄道黒部駅には黒部峡谷への乗換駅としてのイメージが残っており、宇奈月方面へ行くために、間違って下車する観光客もいるようです。

宇奈月駅から欅平駅を結びます。有人駅はピンクで示した4駅のみ。沿線からは多くのダムや発電所を見ることができます。
黒部峡谷鉄道の歴史②:観光客の増加から旅客鉄道へ
専用鉄道時代からもこの秘境鉄道に乗りたいという人が多く、一般客を乗せることもありましたが、断崖絶壁を走る危険と隣り合わせだったため、当時の乗車券には、「生命の保証はしない」と記入されていたといいます。昭和28(1953)年、観光客が増加し始めたことを受け、関西電力が旅客鉄道としての営業を開始。昭和46(1971)年には、黒部峡谷鉄道株式会社が独立して現在に至ります。
黒部峡谷鉄道の枕木やレールは冬期に撤去
鉄道の沿線は、積雪のため、例年12月から翌年4月までは運休となります。鐘釣(かねつり)駅上流にあるウド谷橋では特に雪崩発生の可能性が高く、橋の枕木やレールはすべて撤去されます。普段トロッコ電車が走っているトンネルがその保管場所となり、雪を防ぐための大きな鉄扉がしっかりと設けられています。春先にはまた運行再開に向けて撤去したものを元に戻さなければいけないのですが、この作業はほぼ人力。作業員延べ2000人が40日余りかけておこなう大作業です。
黒部峡谷鉄道は現在も関西電力関係者のための専用列車が走行
すっかり観光列車となった黒部峡谷鉄道ですが、実は今でも黒部川水系の電力設備を守るインフラ。現在も沿線にあるダムや発電所への資材運搬列車や、関西電力関係者のための専用列車が運行されています。宇奈月駅から終点の欅平(けやきだいら)駅までは10駅存在するのですが、有人駅は宇奈月駅・黒薙(くろなぎ)駅・鐘釣駅・欅平駅の4つだけ。つまり、一般旅客が乗降できるのもこれらの駅のみです。ほかの駅はすべて無人駅で、関西電力関係者や沿線工事関係者に利用が限定されています。
『富山のトリセツ』好評発売中!
富山県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。富山の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報満載!



