【鹿児島県】鹿児島市電の歴史と現在の画期的な車両~環境対策に積極的な進化する路面電車~
市中心部や郊外に4路線をもつ鹿児島市電は、軌道の緑地化や車両のバリアフリー化など環境対策を積極的に取り組んでいます。
その歴史と今を見てみましょう。
鹿児島市電は日本最南端の路面電車
鹿児島市電は、鹿児島市交通局が運営する日本最南端の路面電車です。近年、停留所や車両を改良するなどサービス向上が図られ利用者が増加。長年、黒字を計上する健全経営の路面電車として知られてきましたが、近年の電力・燃料費や人件費の高騰を受け、健全な運行を維持するために現在は大人200円、小児100円に運賃が改定されています。
路線は、武之橋(たけのはし)〜鹿児島駅前間の第一期線、高見馬場(たかみばば)〜鹿児島中央駅前間の第二期線、武之橋〜谷山間の谷山線、鹿児島中央駅前〜郡元(こおりもと)間の唐湊(とそ)線の4つあり、総延長は13.1㎞。
現在は、1系統(鹿児島駅前〜市役所前〜高見馬場〜武之橋〜郡元〜谷山)、2系統(鹿児島駅前〜市役所前〜高見馬場〜鹿児島中央駅前〜郡元)というふたつの系統が運行されています。

鹿児島市電には最大6路線ありましたが、現存するのは4路線2系統。第一期線は武之橋〜鹿児島駅前、第二期線は高見馬場〜鹿児島中央駅前、谷山線は武之橋〜谷山、唐湊線は鹿児島中央駅前〜郡元を結んでいます。
分岐点である高見馬場には、2系統それぞれに停留所があります。廃止となった2路線のうち伊敷線は、ほぼ全線にわたり国道3号上を走っていました。
鹿児島市電の歴史
鹿児島市電は1911(明治44)年に設立の鹿児島電気軌道で始まり、1912(大正元)年12月に武之橋〜谷山間を開業させ運行を開始。全国で28番目の路面電車であり、7両の4輪単車で運転をしました。
のちに鹿児島市内へ路線を延ばし、1920(大正9)年までに現在の路線の骨格ができあがりました。1928(昭和3)年には鹿児島市に吸収され鹿児島市電気局による市営となり、戦後の1952(昭和27)年に鹿児島市交通局に改組されました。その後、鹿児島市電は路線延伸を繰り返し、1961(昭和36)年を最盛期に総延長は6路線で19.361㎞に拡大しました。
しかし、モータリゼーションの進展などにより、その後は利用者が減少。最盛期に全線開業していた伊敷(いしき)線(加治屋町(かじやちょう)〜伊敷町間)、上町(かんまち)線(市役所前〜清水町間)が1985(昭和60)年に廃止されました。
鹿児島市電は人にやさしい交通機関へ
クルマ社会がもたらした廃止でしたが、以後の鹿児島市電は人にやさしい交通機関へ変化しました。
架線を排除し、空の景観を取り戻した架線柱のセンターポール化、スロープを付け、運行情報システムを導入した停留所の改良、軌道敷に芝生を植えて緑化しヒートアイランドを緩和させた軌道敷緑化事業などが次々と展開されてきました。なかでも白眉は、バリアフリー化を実現した超低床電車の導入でしょう。
鹿児島市電が導入した車両「リトルダンサー」
輸入車を中心に日本の超低床電車は車軸のない独立車輪式が多いですが、鹿児島市電が導入した純国産の「リトルダンサー」シリーズは、従来同様の車軸のある台車を用い、安定した走行と従来と同じ保守ができる画期的な車両です。
2002(平成14)年登場の1000形はリトルダンサーのタイプA3で、鹿児島市電が初採用した日本初の国産超低床電車です。運転台と台車で構成された両端の先頭車が台車のない中間車を支持する構造で、3車体2台車の連接車です。全長14mで定員は55名。「ユートラム」の愛称で親しまれています。
鹿児島市電の車両のさらなる進化
2007(平成19)年に登場した7000形はタイプA5で、両端の先頭車が支持する中間車が台車付き3車体となった構造で、5車体3台車の連接車。全長が18mと長くなり、定員も78名と大幅に増加しました。愛称は「ユートラムⅡ」。
2017(平成29)年登場の7500形は同タイプXで、世界最小クラスのモーターを使用し、従来の駆動装置のまま取り付け高さを下げ100%超低床化を実現しました。全長は14.4mで1000形とほぼ変わらないですが、定員は68名に増加し「ユートラムⅢ」と命名されました。
こうした超低床電車導入や環境問題への取り組みは、鹿児島市電と市民の信頼関係をよりいっそう強くするものであり、鹿児島市電にはさらなる活躍が期待されます。
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