上毛かるたにも詠まれている浅間山は、群馬と長野の県境にそびえる標高2568mの活火山。
幾度となく噴火を繰り返している山ですが、そのうち最も時代が新しい大規模な噴火が天明3(1783)年の大噴火です。その勢いはすさまじく、火口から勢いよく火炎を吹き上げ、猛火が山を焼きました。当時の地元の人たちは、「突然鬼が暴れて、真っ赤な舌を出して襲ってきた」と表現しており、驚愕の光景が目に浮かびます。
このとき流れ出た大量の土砂は猛スピードで広がり、火口から約12km離れた鎌原(かんばら)村(現・嬬恋村)では高台にあった観音堂に逃げ込んだ人は助かりましたが、逃げ遅れた多くの村人が命を落としました。これは村の人口570人のうち、477人が土石流の犠牲になるという壊滅的な被害でした。後に噴火遺跡の発掘現場から発見された遺体からも、当時の脅威がうかがえます。
ちなみに、イタリアにも火山災害により埋没した、有名な古代都市のポンペイ遺跡がありますが、同様に火山災害で埋もれた村が遺跡として残る鎌原地区は「日本のポンペイ」と称されることも多くなっています。
その後も鎌原村を襲った土砂は泥流となって50以上の村を次々と飲み込み、1500人以上の尊い命を奪いました。
噴火による火山灰も、大きな被害を及ぼしました。降灰(こうかい)は強風に乗って、江戸を含む関東一円のほか、東北地方まで広範囲に及びました。とくに降灰のひどかった群馬県東南部一帯は、農作物に大きな打撃を受けたといいます。
当時は地球規模の寒冷化による冷害が起きていたと考えられており、そんななかでの浅間山の噴火は気候不順に拍車をかけました。なかでも東北地方の被害が大きく、農作物の収穫が激減したことにより、多くの人々が飢えて命を落としました。これが歴史的な「天明の大飢饉」です。飢饉は噴火の翌年になっても続き、農民たちは飢えと貧困の苦しい生活に不安を募らせました。
しかし、こうして猛威をふるった火山も、現代に奇景を残してくれました。最後に流出した鬼押出し溶岩は、現在「鬼押出し園」として整備され、人気の観光スポットに。かつてはジョン・レノン夫妻が訪れたこともあり、そのときの記念写真がきっかけで、鬼押出しは世界にも広く知られるようになりました。園路の両側には奇岩が広がり、なかには「ゴリラ岩」「カエル岩」「サザエさん岩」などのユニークな名前が付けられたものも。大自然のパワーによって生み出された、力強い奇岩の台地は圧巻です。
鬼押出し園では、浅間山を背景に芸術的な奇岩が見られます。
浅間山の大噴火だけではない!榛名山での噴火の被害も大きかった!
渋川市には、古墳時代に2回起きた榛名山の噴火で埋没した遺跡が複数残っています。それぞれの噴火では、火山灰や軽石などの火山噴出物が当時のムラを密封。6世紀初めの噴火により埋没した「金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)」では甲(よろい)を着た古墳人が、隣の「金井下新田遺跡(かないしもしんでんいせき)」からも古墳人や馬が発見されました。 6世紀中頃の噴火により埋没した「黒井峯遺跡(くろいみねいせき)」からは、高床式建物などのさまざまな建物が発見されています。
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