【大阪府】大阪城の歴史とスケールを紐解く!~天守を2回リニューアルした天下の名城~

【大阪府】大阪城の歴史とスケールを紐解く!~天守を2回リニューアルした天下の名城~

日本を代表する城郭建築にして大阪のシンボル大阪城。
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟』で注目度がさらに高まっています。

天守は3代目ですが、壮大な石垣や堀は徳川幕府が築いたもの。
見どころは巨石を用いた石垣です。

 

【大阪城の歴史】天守は現在3代目

現在の大阪城天守は、「昭和の天守閣復興」により1931年11月に完成したもので、豊臣秀吉が築いた初代から数えて3代目にあたります。2代目は徳川時代の大坂城です。

 

【大阪城の歴史】初代天守は豊臣秀吉が築いた

本能寺の変の翌年、大坂に入った秀吉は、浄土真宗の本山として栄えた石山本願寺の跡地に築城を開始し、城下町の建設に着手しました。そのわずか2年後の1585年に初代天守が完成しました。

秀吉が天守の建設を急いだのは、当時はまだまだ政権が不安定だったので、できるだけ早く権力を象徴するシンボルが欲しかったからです。

大阪城初代天守のスケールの大きさ

天守の規模は5層6階。石垣内にも2階分あるので計8階建てだったと考えられています。 信長の居城・安土城をしのぐスケールでした。しかも富と権力を誇示するために、天守に金箔押し瓦が多く用いられたというから驚きです。

大阪城初代天守の優美な装飾の数々

最上階には、城下町を見下ろせる望楼が設けられ、外壁には高欄付きの縁がめぐらされていました。その外壁には、金の桐紋や鷺の絵が描かれていたというので、ずいぶん優美で装飾性の高い天守だったことがわかります。天守の壁は黒漆で塗られ、秀吉に臣従する諸大名も居城の色をこれに合わせたといいます。

 

【大阪城の歴史】築城と落城

天守を含む築城工事は15年にもおよびました。四重の堀に囲まれた巨城のもっとも外側を守る総構えは、北は旧淀川、東は旧猫間川、南は現在の空堀通りの南側、西は東横堀川を範囲としたと考えられています。これらを含む城郭の面積は推定420万㎡。それは現在の大阪城公園の4倍の広さに相当します。

秀吉の死後、関ケ原の戦いを経て、徳川家康が1603年に征夷大将軍に就き、江戸を本拠地とする政治を開始。大坂城は1615年の大坂夏の陣で落城し、豊臣家は滅びました。

 

【大阪城の歴史】再建に着手した徳川秀忠

江戸幕府は大坂を直轄地としました。2代将軍徳川秀忠は西日本の諸大名ににらみをきかせる軍事拠点とするため、1620年に大坂城の再建に取りかかりました。

大阪城の石垣に残る外様大名家紋の刻印

天守の建設は幕府の直営で行われ、石垣の構築と堀の掘削の普請は西国と北陸の外様大名64家が担いました。

大名には工事担当区域「丁場」が割り当てられ、分担する石垣の長さは石高に応じて決められました。そのため徳川の大坂城の石垣には、大名が自分の担当丁場を誇示するかのように家紋などが刻印されています。

 

大阪城の石垣に使われた巨石

大坂城は築城技術の完成期に再築されたため、石垣には洗練された技術が見られます。

石垣には硬質の花崗岩が用いられました。幅 10mを超える巨石が使われたことも2代目の大坂城の特徴です。巨石は後年、「蛸石」や「肥後石」のように名前がつけられました。

巨石の多くは瀬戸内海の島々から舟で大坂まで運ばれました。廃城となった伏見城や加茂 (現・京都府木津川市)、六甲山で切り出され、川で大坂まで運ばれたものもありました。陸上では「修羅」と呼ばれる木製のソリによって石曳きされたと考えられています。

 

【大阪城の歴史】2代目天守の完成と損失

徳川による2代目天守が完成したのは1626 年。城郭全体の工事が終わったのは3代将軍家光の時代となった1629年でした。現在の大阪城の基礎は、こうして徳川幕府によってつくられたのです。

ところが、2代目天守は1665年に落雷のため失われ、以後、江戸時代に天守は再建されませんでした。さらに、戊辰戦争(1868年)の際に幕臣の放った火により、城内の多くの建物も失われました。

明治時代になると、大坂城陸軍の管轄となり、城内にはさまざまな軍事施設が設けられました。

 

【大阪城の歴史】3代目天守の復興

大阪城に天守が復活したのは、2代目天守の焼失から266年後のことでした。1928年、当時の關一(せきはじめ)大阪市長が大阪城天守閣の復興を提案。資金は市民からの寄付金150万円(現在の貨幣価値に換算すると約750億円)で賄われました。3代目天守は『大坂夏の陣図屏風』に描かれた豊臣期の天守をモデルとしました。

復興工事がはじまったのは1930年5月。築造以来およそ340年を経た古い石垣に総重量1万1000tにも達する建造物を載せる難工事で、途中で設計変更をしながら1931年 11月に竣工しました。

大阪城3代目天守の驚くべき大きさ

鉄骨鉄筋コンクリート造りで外観は5層、高さは55m。天守の高さは、初代が約40m、2代目が約58mだったと推測されているので、高さについては2代目に近いです。築城技術と重機がなかった豊臣期の大坂城と、それを凌駕する徳川期の天守がいかに異次元の大きさであったのか想像を絶します。

3代目天守はエレベーター2基を備えたビルで、天守閣内部は博物館となっています。1997年、国の登録有形文化財に登録されました。

大阪城の現在の姿

現在の城の縄張り(範囲)は、徳川時代とほぼ同じ。本丸や二の丸だけでなく、淀殿と豊臣秀頼が自害した山里丸などの遺構が残されています。立地は、上町台地でもっとも高いです。

 

『大阪のトリセツ』好評発売中!

大阪府の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。大阪府の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

大阪のトリセツ

大阪のトリセツ

1,650円

地図でスッと頭に入る豊臣一族の戦国時代

地図でスッと頭に入る豊臣一族の戦国時代

1,760円

大阪のトリセツ なにわおもしろ学

大阪のトリセツ なにわおもしろ学

1,650円

大阪市のトリセツ

大阪市のトリセツ

1,760円

日本歴史地図帳

日本歴史地図帳

3,960円

地図でスッと頭に入る戦国の合戦

地図でスッと頭に入る戦国の合戦

1,870円

記事一覧に戻る