御殿場線は、どの駅も一様にホームが長くなっています。たとえば、小田急線と接続する松田駅では、小田急線との連絡階段がホームの国府津側の端にあるいっぽう、御殿場線の2両編成の短い列車は、はるか沼津側の前方に停車をするため乗換え客は長いホームで息を切らせて歩くことになります。
加えて、駅構内も広くゆったりとしていて、ローカル線とは思えない線路配置になっています。また、単線ですが、沿線には複線分の用地がありトンネルの入り口もふたつあります。
五街道のひとつ、東海道の難所といえば箱根八里。東海道本線は今、これを延長7804mの丹那トンネル(熱海の次の駅、来宮から西進)で克服しています。
国土地理院色別標高図を元に作成
かつて、箱根を越えて東西を結ぶ大幹線(東海道本線)だった御殿場線。標高図を見てのとおり、険しい山の連続に、その事実がにわかには信じがたいものがあります。現在の東海道本線は、ずっと南、熱海付近から丹那トンネルを経て西へ抜けています。
策をこらした箱根越え
トンネル開通は1934(昭和9)年。それまでは、国府津から御殿場をサミットとし沼津へ抜ける箱根越え、つまり御殿場線のルートを通っていました。しかし、この箱根越えは25パーミルの急勾配が容赦なく連続する東海道本線最大の難路。当時、電化はされておらず、開業時から蒸気機関車が喘ぎ苦しみました。
国府津、山北、沼津には機関区が設けられ、補助機関車を最後部に連結しました。また、日本の大動脈である東海道本線には最新鋭機が導入され、1912(大正元)年にはシリンダが4つあるマレー式蒸気機関車がアメリカやドイツから輸入され、ボイラーの大きな国産のD50形、D52形なども投入されました。
活躍した超特急「燕」
1930(昭和5)年に運行を始めた超特急「燕」は、名古屋まで無停車、東京~神戸間を9時間で結びました。東京~国府津間はすでに電化されていましたが、国府津での機関車交換の時間を惜しみ、東京からC51形蒸気機関車が力走。わずか30秒停車の国府津で後部にC53形の補助機関車を連結し、箱根越えに挑みました。
給水のため、機関車の後ろには水槽車を連結。展望車や食堂車を従え、御殿場では補助機関車を走行中に開放して駆け抜けていました。
御殿場線は幹線鉄道の面影を残す
そんな東海道本線も、丹那トンネルが開通すると熱海経由となり、箱根越えの同線は御殿場線となり、のちに線路も単線となりました。機関区があり鉄道の町として賑わった山北などはひっそりと静まりかえりましたが、長いホームや広い構内、複線分の用地、トンネル、鉄橋が往時を思わせ、幹線鉄道の栄華を今に伝えています。