しかし、東京は震災から20年余りで再び都市機能を大幅に失うことになります。米軍による首都爆撃です。特に昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲では、12万人以上の死傷者を出し、その後、数回の大空襲で東京は焼け野原となりました。
終戦後の昭和20(1945)年11月、政府は戦災復興院を設置。水準の高い都市づくりの理念と意欲が示された「戦災地復興計画基本方針」を決定し、これを受けて東京都は翌年、「東京戦災復興都市計画」を決定して、戦災復興に着手しました。
基本方針では、街路・緑地・港湾などの整備について、具体的な方針が示されました。街路については、将来の自動車交通への適応とともに、防災、保健、美観に資することをめざし、大都市の主要幹線は幅員50m以上、中小都市では幅員36m以上とすることなどが指示されました。
緑地についても、市街地面積の1割以上とし、市街地外周に緑地帯(グリーンベルト)を設けることなどが示され、その内容は理想的で高水準なものでした。
出典:国土交通省『平成12年建設白書』(https://www.mlit.go.jp/hakusyo/kensetu/h12_2/h12/html/C1Z01000.htm)を元に作成
昭和14(1939)年の東京緑地計画の区域。東京府から、神奈川、埼玉、千葉、茨城、山梨の各県にわたる広範で広大な緑地計画を決定していました。
東京の高度成長を支えた戦災復興都市計画のインフラ整備
しかしその後、国も地方も予算確保が困難となり、また、戦災による資材・人材の不足、GHQからの反対やドッジ・ライン(GHQ経済顧問の財政金融引き締め政策)による緊縮財政の影響を受け、復興計画は変更・縮小を余儀なくされました。
当初計画より縮小されたとはいえ、戦災復興事業は近世に建設された日本の都市形態を一新し、戦後の高度成長を支える中心市街地のインフラを造り上げました。このときに整備されたインフラが、現代東京の都市機能の基礎となっています。
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