【鹿児島県】国家石油備蓄基地はどこにある?~志布志湾に浮かぶ人工島~
アメリカ・イスラエルのイラン攻撃によって、事実上の封鎖となっているホルムズ海峡。それに伴い、原油タンカーが海峡を通過することができず、原油が国内に届かず輸入原油が大幅減少という事態となり、早くも国家備蓄の石油放出になるもようです。
日本の国家備蓄の石油は146日分、民間備蓄は101日分といわれますが、その大量の石油が備蓄されてる基地のひとつが、志布志湾の西側にぽっかりと浮かぶ四角形の島・志布志国家石油備蓄基地です。
国家石油備蓄基地とは
一次エネルギー供給源として石油への依存度が高く、また輸入依存度も高い日本にとって、石油備蓄は重要な課題のひとつです。その課題解決のために備えられているのが、国家石油備蓄基地です。1978(昭和53)年に石油公団(現・独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)が国からの委託により石油備蓄を開始し、現在は全国に10カ所の基地があります。
志布志に国家石油備蓄基地ができるまで
1967(昭和42)年、通産省(現・経産省)が志布志(しぶし)湾を共同原油輸入基地建設候補地のひとつとして名前を上げたことをきっかけに、鹿児島県のなかで、志布志湾を含む大隅半島全域を工業地帯とする開発計画が持ち上がります。翌1968(昭和43)年、志布志湾の埋め立て造成と石油備蓄基地、石油コンビナート、軽金属工業などの臨海工業群を形成する計画が鹿児島県から発表されました。
志布志国家石油備蓄基地建設計画は第一次石油危機を契機に本格始動
このような状況のなか、1973(昭和48)年に起こった第一次石油危機により、1975(昭和50)年に民間石油会社の「九十日間備蓄増強計画」、1978(昭和53)年に石油の国家備蓄が始まるなど、国内の石油備蓄体制強化の機運が高まっていきました。
1981(昭和56)年、志布志湾に建設可能か判断する調査が始まり、いよいよ備蓄基地建設計画が動き出すこととなります。
志布志国家石油備蓄基地の建設工事着工
建設実現への道のりは困難もたくさんありました。
とくに地域住民などの反対運動は長期間にわたって続きました。鹿児島県が日南(にちなん)海岸国定公園のうち、開発予定地の指定解除要請を出したことから、1971(昭和46)年には「柏原地区石油コンビナート絶対反対期成同盟」、「志布志湾公害反対連絡協議会」が結成されました。
基地計画を含む予算案可決の際には反対派約1000人が鹿児島県の議会議事堂の通路に座り込み、警官隊が出動する騒ぎになりました。その後、国定公園の指定解除をしないことなど、反対派住民の意向を考慮した内容に変化していきました。
漁協へは、志布志湾内にあった東串良漁協、高山町漁協への漁業補償交渉も行われました。
また、埋め立て工事、埋め立て地の存在について、大気や水質、騒音・振動など影響はほとんどない、あるいは軽微であるという環境アセスメントも公表されました。
これらを経て、1984(昭和59)年に石油公団が志布志湾地区への立地を決定し、1985(昭和60)年1月に着工されました。同じタイミングで、志布志石油備蓄株式会社も設立されました。
沖合500mの場所に建設された基地。大型タンカーが入港する様子は見ものです。敷地に緑が豊かなため陸側からタンクははっきりと見えません。
志布志国家石油備蓄基地は自然環境との調和を図りながら操業中
1992(平成4)年、原油タンク20基で操業を開始。翌年にはさらに原油タンク23基(合計43基)が完成しました。出島方式の人工島で196ヘクタールの敷地面積を有し、最大500万㎘、国内消費量約9日分の原油を貯められる施設が全面操業を始めました。
基地は周囲の自然環境との調和を図るため、大規模な植栽を実施。総敷地面積の約24%が、クロマツなどが植えられた緑地で、景観保持にも配慮されています。
2004(平成16)年に基地事業は国の直轄事業となり、独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構が管理運営を行っています。
現在、鹿児島県内には志布志(東串良町)のほか、いちき串木野市にも備蓄基地があります。県に2カ所の国家石油備蓄基地があるのは、鹿児島県だけです。

鹿児島県内に国家石油備蓄基地は2カ所、民間の石油備蓄基地として735万㎘の貯油能力のENEOS喜入基地があります。
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