スーパーマップル誕生秘話 今なお人気の「道路地図の決定版」はどうして生まれたのか
聞き手:今和泉 隆行(いまいずみ たかゆき)(X:@chi_ri_jin)
執筆協力:少年B(X:@raira21)
今やスマートフォンの地図アプリが当たり前の時代ですが、かつて「車を運転するならこれ一冊」と言われ、日本の道路網を支え続けてきた地図があります。それが昭文社の「スーパーマップル」です。
今回は、30年以上にわたり昭文社で地図作りに携わってきた飯塚新真さんに、空想地図作家の今和泉隆行さんがその誕生の舞台裏と、地図に込められた情熱を伺いました。
飯塚 新真(いいづか にいま)
1962年生まれ。1986年(株)昭文社入社。地図編集部長、デジタルコンテンツ本部長、基盤情報制作本部長を経て、現在、(株)昭文社ホールディングス取締役。中学生の時、母親に自宅付近の2.5万分の1地形図『吉祥寺』(国土地理院)を買ってもらったのが本格的な地図との出会い。
今和泉 隆行(いまいずみ たかゆき)
1985年生まれ。7歳の頃から実在しない都市の地図=空想地図を描き続けている「空想地図作家」。地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わる他、地図を通じた人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している。
地図の役割は変化する
昭文社の過去の地図を眺めながら話す飯塚氏(右)と今和泉氏(左)
今和泉:
はじめまして。1960年創立の昭文社は2022年現在も日本全国の都市地図・道路地図を発行している唯一の会社です。その歴史をひも解くことで、変遷する人々の暮らしが見えるのではないかと思い、お話を聞かせていただこうと思いました。
飯塚:
いえいえ、私なんかでお役に立てるかな。
今和泉:
さっそく、飯塚さんの経歴を教えていただけますか?
飯塚:
私は大学を卒業して、1980年代半ばに昭文社に入社し、編集部の都市地図課に配属されまして、地図編集や制作に関わっていました。現在は取締役になっていますが、入社してからの30年間は、地図と共に歩んできました。
今和泉:
当時、昭文社の編集部には都市地図課以外に、どのような部署があったんですか?
飯塚:
地図ではほかに道路地図課と基本地図課がありました。基本地図課は学校の地図帳のような「日本地図帳」とか、地勢図に近い「分県地図」を出していました。あと世界地図もですね。
道路地図課はマップルの10万分の1とか20万分の1などの縮尺の小さい、要するに1枚の紙に収まる範囲の広い地図を出していました。ライダーの定番になっている「ツーリングマップル」も道路地図課ですね。B4判サイズの大きな道路地図帳である「マップル」シリーズが多くのドライバーの支持を頂いていた時代です。
飯塚:
私の所属していた都市地図課ですと「県別マップル」が代表作ですが、1980年代はまだなく、当時は「ニューエスト」というシリーズなどを出していました。
都市地図をイチから作るのは大変なので、新人のころは再版業務を担当していましたね。
今和泉:
再版業務とはどのような仕事なんですか?
飯塚:
当時は地図がものすごく売れていたので、○年度版というふうに、一度出た地図の情報を更新して毎年出すわけです。年度の途中でも増刷の際には重要箇所を更新して出版しました。
私は地図編集を担当していましたので、情報収集をして、変更箇所を原稿に書くという仕事でした。それを製図したり、印刷用の版(フィルム)を直したり、印刷をしたりという作業はまた別の部署が担当していました。
今和泉:
今と違ってインターネットもない時代、情報収集は大変だったでしょう。
飯塚:
ここ10年ぐらいで国土地理院も迅速な更新をするようになったんですが、以前は地形図の更新に都心部では2〜3年、地方だと10年かかっていたこともあるぐらいなんです。
そして地形図が1枚単位で改訂されていくように、民間の都市地図なども再版がかかると、「該当する図面の範囲だけを、その都度イチから調べる」というのがそれまでの地図屋のやりかただったわけです。
今和泉:
想像するだけで大変そうです……。
地図作りは情報収集が肝だった
飯塚:
当時は名古屋のアルプス社、北海道の地勢社、東京だと武揚堂など、各地方ごとに拠点を作っている会社がありましたが、都市地図で全国を網羅している会社は昭文社以外になかったんですよ。
うちは創業者の社長が一気呵成に攻めるタイプの人だったので、現場としては市ごと県ごとに情報を集めるのではなくて、全国の情報を一括してリアルタイムで集める専門の部署を作ることになったわけです。
今和泉:
それはすごい。
飯塚:
まぁ、全国の地図を作っていなければ、別にその都度でもいいと思うんです。でも、たとえば道路なら高速道路や国道は多くの県をまたぎますよね。だったら道路の担当をひとり決めて、その人が全国の道路のことを把握していれば、いつでも、どこの地図制作にも対応できるぞという考えかたです。
で、ちょうど私が入ったころにその環境が整いつつあって。
今和泉:
情報はどのようにして集めるんですか?
飯塚:
道路だと、当時の建設省や道路公団、都道府県、市町村など、その道路を管理している団体にそれぞれ聞きました。直接役所にお伺いして管理者から収集したり、年度予算の記者発表資料や官報、県公報を集めたりだとか。
あとは「住居表示」(1962年から始まった新しい住所表記)によって住所が変わることも多かったので、全市町村の住所変更情報を電話やアンケート用紙を送って問い合わせました。変更済みの箇所に加えて、またすぐ地名が変わっては大変なので、数年先の予定まで、決まっている情報はすべて押さえていきました。市町村の広報誌もたくさん郵送してもらって見ていましたね。
和泉:
こっちから聞かないと教えてくれませんもんね。
飯塚:
そうそう、百貨店協会とかにも聞きに行きましたよ。ガソリンスタンドはけっこう苦労しました。ガソリンスタンドって直営店はほとんどなくて、主にフランチャイズなんですが、地方だと個人商店が運営しているところもあって。当時はホームページもないし、情報を探すのが大変でした。それでも業界団体のリストを頂いたりして、情報管理を進めました。
飯塚:
そうなんですよ。国や県の機関には伝えてたんでしょうけど、市町村が自分の街の住所変更を民間の会社に教える義理はないですから。
他にも、情報収集活動として、定期的に全国の都道府県庁、主な市区町村役場を訪問し、資料や地図の収集、都市計画や道路管理、土地区画整理や公共施設建設の担当部署への取材を行っていました。
今和泉:
情報を足で稼いでいたんですね……!
ライバルに負けじと集めた交通情報
今和泉:
鉄道やバスについてはいかがですか?
飯塚:
鉄道の予定線の図面は各鉄道会社や、当時国鉄の新線建設を担っていた鉄建公団に事前に図面をもらいに行きました。廃線は当時から話題になっていたので、わざわざ聞きにいかなくても、何かしらで情報が入ってくるという感じでしたね。
ただ、鉄道が廃線になると、跡地の問題があります。道路になるのか、放置するのかで地図も変わってきますし、駅がなくなると、当然バスの経路も変わりますよね。なので、バス会社や地元の自治体に問い合わせるなどの機転をきかせる必要がありました。
今和泉:
昭文社では、特にバスの情報がかなり詳しい印象がありますね。
飯塚:
今はウェブやアプリなどが充実してきたので、残念ながら以前ほど重要な情報として利用されていないようですが、昔はバス停の位置情報は紙地図で見るしかなかったので、相当重視していました。
路線図をもらって、バス停の位置を地図上に載せて、それを先方に確認してもらったりだとか。そうして作った社内ネタ帳である「バス台帳」を毎年更新していく作業をしていましたね。
今和泉:
当時はそれを紙でやってたんですもんね。修正も大変だ……!
飯塚:
当時、名古屋のアルプス社がバス情報をものすごく正確に載せていたんですよ。私は彼らと接点はなかったんですが、アルプス社の地図はいつ見ても心憎いというか、ほれぼれする仕事をされていて。
だから、「俺らも負けていられないな」とがんばったんですが……。何せこっちは全国の地図を出してるので調べる範囲が広い広い(笑)。いや本当に大変でした。
今和泉:
「県別マップル」などを見ると、都市部の拡大図だけでなく、山の中までしっかりバス停が描いてありますもんね。これはすごいなと昔から思っていました。
飯塚:
昭文社は民間会社ではありますが、扱っている「地図」は非常に公共性の高い商品です。お客さまから期待されている部分はやはり、バス路線はもちろん公共施設や道路・交通なわけですよ。
だから、そこに関しては「絶対に漏らしてはいけない」という強い気持ちでやっていましたね。
民間施設の情報を重視する時代へ
今和泉:
公共施設なら市町村で対応できそうですけど、民間の大型商業施設はどうやって調査をしていたんですか?
飯塚:
今和泉さんは「時代によって地図が注目するものが変わっていく」とおっしゃっていますが、我々としてもまさにそうで。「スーパーマップル」が出る以前は公共施設が中心で、民間施設で重視していたのは銀行や大規模店舗などでした。
だから、まずは公共施設を押さえて、民間施設については法規制上引っかかってくるものから調べました。たとえば銀行だったら、銀行協会の月報を調べて、変化がないかを調べたり、商業施設であれば、当時は「大店法」(大規模小売店舗法)という法律があったので、その申請図面を見たり、地方新聞から情報を得たりしていました。
今和泉:
業界団体ってたくさんありますもんね。
今和泉:
民間施設を地図に載せる基準はどのようになっていたんですか?
飯塚:
基本的には、お店の規模がでかい店舗であるかとか、あとは全国展開をしているチェーン店かとか……。すなわち「規模の大きさ」と「知名度」「目標物としての視認性」などが基準ということになりますかね。
ただ一方で規模は小さくても、その町、地域で絶対に落としてはいけない地物というのもあります。地元の老舗、歴史的に重要な社寺ーーこういうものは編集者がその町の歴史、文化、地理をよく知っていないと、大切なものを漏らしてしまいます。編集者の力量が問われるところです。
今和泉:
ただスポットの情報を集めて、載せるだけではいけないんですね! 歴史や文化まで調べるという。
飯塚:
とはいえ、いち民間会社で全国の店舗の情報を集めなきゃいけないので、まずは全国的なチェーン店をいくつもピックアップ、それぞれにリストを作成して、各地域の担当者が地域別に振り直しておく。その上で「○○市の地図を作る」となったら、編集の際にひとつひとつ検証・確認していく、といった手順でした。
今和泉:
ガソリンスタンドやコンビニもそうですが、ある時から交差点名なども載せはじめましたよね。
飯塚:
1990年代、道路地図に掲載する目標物は、それまでの公共施設、公共交通中心から民間施設へと大きくシフトしました。ちょうどこの時期、コンビニやロードサイド店舗などが全国で急増するとともに、道路標識の整備も大きく進んだのが背景にあったと思います。
今和泉:
これを把握するのは大変だったと思うんですが、どうしていたんですか?
飯塚:
1992年に「スーパーマップル」という地図を出した時に、情報の集めかたが大きく変わったんです。コンビニやガソリンスタンド、交差点名など、これらが重要視される時代が来たので、これまでの方法ではちょっともう厳しかろう、と。信号機や交差点名なんか、もう調べようがないですからね。
飯塚:
そこで、できるだけ現地をクルマで走って、確認するようになっていったんです。だからほら、表紙に「実走調査」と書いてあるでしょう。もちろん、時間も手間もかかるので、「どの道を走行して、どのような情報収集を行うか」についてはずいぶん考えたし、苦労しました。
今和泉:
時代がその情報を求めていたんですね。それにしても、なぜそれが急に道路地図で求められるようになったんでしょう。
飯塚:
私の知る限りでは、やはりアルプス社が出版した地図の影響が大きかったのかもしれません。アルプス社さんがそういったところまで踏み込んだ地図を出したということで、読者のニーズが高まったと。私が知らないだけで、もしかしたら他に先駆者がいたのかもしれませんが……。
少なくとも、私たちが「スーパーマップル」を出したときに、すでに書店の地図コーナーに一定数並んでいて、情報量の多さで人気を得ていたのはアルプス社でした。
今和泉:
またアルプス社の名前が出てきましたね!強力なライバルがいたから、昭文社も工夫を重ねてきたんですね……!
これまでの地図の常識を変えたスーパーマップル
今和泉:
ここまでの話をうかがうと、「スーパーマップル」の登場は昭文社にとってかなり大きな転換点だったんですね。
飯塚:
これはね、自分で言うのもおかしな話かもしれないけど、まさに「スーパー」の名を冠するにふさわしい地図だと思いますよ。まず第一に、これまでの地図とは同じ厚さでも、お話したとおり情報量が全然違いますので。
今和泉:
「スーパーマップル」の初版は1992年なので、地図の製作がデジタル化される直前に出ているんですよね。
飯塚:
そうなんです。デジタル化したから情報量が増えたというわけではなく、非常にアナログな方法で情報を集めたんです。だから、労力は非常にかかっていますね。
あと、「スーパーマップル」のスーパーたる所以はもうひとつあって、これは社内の共通認識というわけではなく、私個人の理解なんですけども、この商品が「都市地図」と「道路地図」が融合した、当社として全く新しい表現の地図だったということです。
今和泉:
はい。
飯塚:
じゃあ都市地図と道路地図の違いは何か?というと、都市地図は街(住所の表示)を強調するために、町域ごとに背景色を変えているわけです。
飯塚:
隣り合った4つの町があれば、A町は赤、B町は青、C町は黄色、D町は緑、といったように、町別に塗り分けをするんですね。「住所がはっきりわかること」が大事なので、住所以外に余計な色は使わない。だから、都市地図では道路は白いままなんです。
「道路に色を入れると、情報が多すぎるじゃないか」という発想ですね。
今和泉:
紙の地図は町別に色分けをしているという話は以前させていただいたんですが、あれは都市地図で始められたものなんですね。
飯塚:
一方、道路地図というのは、当然ながら「道路」が主体であり、このような地図ですね。
飯塚:
背景は白で、道路のほうに色を入れているわけです。国道は赤、主要な県道は緑、一般県道などは黄色、有料道路は青とかね。
道路の区分で色を分けてあげることによって、道路を目立たせているわけです。このように、都市地図と道路地図は明確に分かれていたんですね。
今和泉:
それが、スーパーマップルができたことによって……!
飯塚:
そう、都市地図と道路地図が合体した地図が生まれたんです。昔から地図をつくっていた人の中には、いかがなものかという意見もあったんですよ、当時ね。町別に色分けをして、その上さらに道路にも色を入れて、ガチャガチャしすぎじゃないかと(笑)。
今和泉:
当時の都市地図「ニューエスト」は道路に色を入れてなかったですね。
飯塚:
古い版はそうですね。せいぜい有料道路や主要な道路はちょっと黄色く塗っておくか、ぐらいでしかなかった。本格的に道路に色を入れ始めたのは「スーパーマップル」の頃からです。
こだわりを捨てたことで、ユーザーに支持された
今和泉:
このような表現の地図が売れるのか?という心配もあった中、発売された「スーパーマップル」は大ヒット。新しい地図のスタンダードとなりましたね。実は、私のように空想地図を描いている人たちは他にもいるんですが、「スーパーマップルで地図に開眼した」という人が多いんですよ。
飯塚:
それはうれしいですね。なぜこのような地図が生まれたかというと、私はやはり「アルプスショック」だったと思います。
名古屋のアルプス社が名古屋でこのような地図を出して、それが人気らしいぞという話になり、弊社の営業が大きなショックを受けたようなんですね。
今和泉:
アルプス社は東京にも進出していましたからね。アルプスがこのような地図をたくさん作る前に、昭文社は全国でこれをやるぞと。
飯塚:
そうそう。編集部としては「そんなこと一気呵成にできるか」って思うんだけど、「アルプス社はできてるぞ」って(笑)。で、北海道から九州まで、スーパーマップルを全国展開したんですよ。あれは本当に大変な仕事でしたね。
飯塚:
さて、「スーパーマップル」の「スーパー」たる所以をもうひとつお話しましょう。都市地図と道路地図の違いはもうひとつあるんですが、都市地図は市町村単位が基本なんです。たとえば「神奈川県」とか「松戸市」とかですね。
今和泉:
「ニューエスト」なんかでも、ページを開くと「鎌倉市」などと出てきますね。
飯塚:
そう、「ニューエスト」は典型的な都市地図ですね。「都市の中心駅から、これを見て歩くだろう」と考えているからこういう作りになるんです。それに対して、道路地図は市町村をまたいで、クルマで移動することを前提に考えているから、メッシュ仕立てなんですよ。
今和泉:
都市は関係なく、メッシュごとに番号を振って、「西は前のページ、東は次のページ、北と南は○ページを見てね」という作りかたですね。
飯塚:
ところがアルプス社は名古屋圏で、「名古屋圏全域をちょっと分厚い1冊でまとめました」みたいな地図を出してきたんです。
アルプス社の地図は前半は市町村別の地図や中心市街の拡大図を載せ、後半はメッシュ仕立てという方式だった。これが、ユーザーからすると非常に使い勝手がよかったんです。かゆい所に手が届いたんでしょうね。弊社流に言えば、都市地図と道路地図を1冊に束ねたようなものです。
今和泉:
なるほど。
飯塚:
昭文社もこれに対抗すべく、策を練りまして。これは非常に迷ったんですが、我々は「基本的には詳細図をメッシュでいこう」とした上で「スーパーマップル関西」に取り組むことになったんです。
飯塚:
地図を編集する側としてはあまり好きなかたちではなかったんですが、大都市部のみメッシュの「詳細図」(郊外都市はカット図)というかたちで、縮尺の大きい地図をつけることにしました。
今和泉:
私としてはこの広域図と詳細図が1冊にまとまっているのが好きなんですが、編集者はあまり好きじゃなかったんですね。
飯塚:
縮尺や連続性の全然違う地図を一緒に載せるというのは出版物としてスマートじゃないというか……。でも、お客さんにはそういうの関係ないですからね。おかげさまで、ものすごくたくさん売れました。
「スーパーマップル」における「都市地図(詳細図)と道路地図(広域図)の融合」がここでも大きな成果に結びつきました。これも「スーパー」たる所以です。
今和泉:
こだわりを捨てたことで、使いやすさが上がったと。
飯塚:
そういう意味でも、アルプス社という会社は透徹したリアリズムの会社だったと思いますね。
今和泉:
アルプス社は、昭文社にとっても大きなライバルだったし、それがあったから地図業界が大きく発展したんですね。
アナログ時代最後の進化、ライバルの存在
知られざる紙地図の世界。デジタル化によって情報が整理され、デザインが大きく進歩したこともまた事実ですが、実はそれとはまったく関係ないところでも、地図は大きな進化を遂げていたのです。
まだ紙の地図しか存在しなかったころ、強大なライバルとお互いに切磋琢磨することで、デザインは洗練され、より見やすく。情報量も格段に増えていったのです。








