【奈良県】大仏鉄道を阻んだ急勾配~営業期間わずか9年間の幻の鉄道~

【奈良県】大仏鉄道を阻んだ急勾配~営業期間わずか9年間の幻の鉄道~

かつて東大寺の大仏参拝客でにぎわった鉄道がありました。
ときには乗客が車両を押すほどの急勾配が災いして短期間で役割を終え、「幻の鉄道」と呼ばれています。

 

大仏鉄道とは

明治の5大私鉄のひとつとされた関西(かんせい)鉄道株式会社(JR関西本線の前身)。同社は名古屋方面から奈良への観光客誘致を狙って、奈良駅の北に設けた「大仏(だいぶつ)駅」と加茂駅を結ぶ8.8kmに明治31(1898)年、鉄道を敷設し、「大仏鉄道」が誕生しました。翌年には、大仏駅~奈良駅の1.1kmも開業させました。これにより、加茂駅と奈良駅を結ぶ、合わせて9.9kmの路線となりました。

大仏鉄道の「大仏駅」は東大寺大仏殿の最寄り駅

当時の大仏駅は、その名の通り、東大寺大仏殿の最寄り駅にあたります。関西鉄道が奈良駅の使用について大阪鉄道との交渉が難航したため、仮設的に造ったものでしたが、大仏殿参拝に便利なため、東海や伊勢方面からの参拝には打って付けと、すぐに利用客が増えることとなりました。

 

大仏鉄道を走らせていた関西鉄道の人気

また、大仏鉄道を走行する関西鉄道の蒸気機関車には、源頼朝の愛馬にちなんだ「池月(いけづき)」をはじめ、「飛龍(ひりょう)」「三笠」などのニックネームがそれぞれにつけられていました。

大仏駅の開業時には、「赤いイギリス製の蒸気機関車が伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客を乗せてにぎわった」と、当時の新聞が伝えています。「小さな部屋が十個ほどつながっているような感じ」の客車は「マッチ箱」と呼ばれ、物珍しさも手伝って、明治32(1899)年には乗車客数が5万人を超えるほどの人気でした。

 

大仏鉄道が悪戦苦闘した急勾配路線

ところが、最短距離ルートで設定された大仏鉄道は、奈良山丘陵を走らなければならず、加茂駅の標高40mに対して、大仏駅は70m、途中の黒髪山では100mにもなり、最も急な場所で2.5%の勾配(100mで2.5m登ります。角度約1.4度)となるような急勾配が連続する路線となってしまいました。

乗客や近隣の村民が機関車を手押しすることも!?

黒髪山トンネル越えの難関では、イギリス製の新鋭機関車でさえ、走行は困難を極めたといいます。起伏の多い路線で速度は上がらず、石炭を大量に消費する燃費の悪さ。機関車が2両ついているときはまだよいのですが、1両だと停まってしまう始末に。そうなると、乗客が降りて車両を押したり、近隣の村人たちが駆け付けて手伝ったりと、今では想像がつかないほどの事態だったようです。

 

大仏鉄道の終焉

次第に大仏駅より奈良駅が利用されるようになっていき、開業からわずか3年後の明治34(1901)年には乗降客は激減しました。
さらに追い打ちをかけるように、明治40(1907)年に、木津駅を経由する加茂駅~奈良駅の現在のJR関西本線の平坦なルートが開通したため、大仏鉄道の需要がなくなりついには休止へ。そして、鉄道の国有化が実施されたことで翌年に廃業となってしまいました。出典:木津川市HP

幻の鉄道と呼ばれることも

営業期間が9年と短かったのに加え、国有化直前に休止となったために大仏鉄道に関する文献資料は乏しく、「幻の鉄道」とも呼ばれるようになったのです。

大仏鉄道の遺構は現在も見ることができる

ですが、かつての大仏鉄道の線路跡には、隧道(ずいどう:川の水や人を通すために造られたトンネル)や橋台(橋の上部構造の両端を支える基礎部分)など、いくつもの遺構が緑豊かな里山の風景に溶け込むように点在します。1世紀以上の時の流れを越えて今もなお、当時とほぼ同じ姿のままでたたずんでいます。

 

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