【京都府】祇園の町並みが今の形になったのは発展は20世紀になってからだった!?

【京都府】祇園の町並みが今の形になったのは発展は20世紀になってからだった!?

古都の趣を感じられる祇園は、茶屋や料亭が並ぶ人気のスポットです。
しかし、現在の形になってから、まだ100年程度しか経っていないという事実があります。

 

祇園の町並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている

東山区に位置する祇園は、四条通を中心として鴨川、東大路通、建仁寺までの範囲に広がっています。その一角である新橋通は国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されており、京都有数の花街です。

祇園の名前の由来

祇園という名前は、八坂神社に由来します。創建当時の八坂神社は釈迦(しゃか)が説法をした祇園精舎から取って「祇園社」、門前町は「祇園」と名づけられたといいます。

祇園の変遷とその名残

1202年にが建仁寺が開山すると、祇園の大部分は境内に組み込まれました。しかし、明治維新で神仏分離政策がとられ、寺領のほとんどが没収となり、祇園社も八坂神社と名を変えます。国宝に指定された社殿が寺院の本堂のように本殿と拝殿を兼ね備えた形なのも、神仏習合時代の名残とされています。

 

祇園の町並みが今のようになったのは江戸時代以降

そんな祇園は寺社の興隆とともに発展したとされやすいですが、繁華街になったのは江戸時代以降です。祇園のメインストリートである四条通はかつての平安京の四条大路で、全幅は8mほど。現在のような大通りではありませんでした。拡張されたのは明治時代の後期です。

祇園のメインストリート四条通に市電敷設

当時の京都市は、産業復活を目指して「京都市三大事業」を計画しました。その1つである市電敷設による交通網の整備で、1906年に四条通も京都市電四条線の線路設置が決定しました。これにより、四条通の道幅も8mから20m(現在は22m)に大幅拡張。建造物の大部分も建て直されていきました。

四条通拡張に合わせて八坂神社の西楼門も移動

八坂神社の西楼門(にしろうもん)も、1913年に四条通の拡張にともない、門を東に6m、北に3m移動しています。花見小路通も、大正時代に発展したもの。四条通での茶屋営業が禁止となって店舗が移ってきた結果、京都一の花街になりました。『忠臣蔵』の大石内蔵助が豪遊したことでも有名な一力亭(いちりきてい)も、四条通に面していた玄関を、花見小路通方面に変えています。

祇園の代表的町並みの花街

花街としての祇園は、1881年に東部が分離され「祇園甲部」と「祇園東」になります。このほかにも宮川筋二丁目から六丁目のあたりが「宮川町」、四条通から三条通の1筋南まで通じる細い通りが「先斗町(ぽんとちょう)」、上京区の北野天満宮に近接する繁華街に「上七軒(かみしちけん)」があり、これらは五花街と呼ばれています。

歌舞練場に集う芸妓・舞妓

このうち祇園東以外には「歌舞練場」という芸妓・舞妓の劇場があり、「都をどり」「京おどり」「鴨川をどり」「北野をどり」などの舞踏公演のほか、歌や舞踊の練習場として利用されています。

 

祇園祭は疫病退散からはじまった

八坂神社の祭礼として毎年7月に行われるのが祇園祭です。869年全国で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑に当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、牛頭天王(ごずてんのう)らの神を迎えて災厄退散を祈ったことがはじまりとされています。17日と24日の山鉾巡行が有名ですが、祭礼自体は1日から31日まで日程が組まれていて、まさに京都の夏の風物詩となっています。
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